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医ごっそうのコラム茶や!


医療法人 仁泉会「朝倉病院」理事長の医ごっそうコラムです。
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<   2010年 04月 ( 1 )   > この月の画像一覧
今日から明日育(あすいく)
最近、教育に関する関心が高まっているように思います。

特に子供への教育熱はすごく、一部の小学生は塾や習い事に通うのが当たり前で、普通の大人よりはるかに忙しいようです。
早期教育も盛んで、さらに超早期教育も当たり前、つまり生まれてからでは飽き足りなくて、生まれる前から教育をしたほうがいいと、モーツァルトの曲を聴かせたり、胎児に本を読み聞かせることを実践している人たちもいるそうです。

行き過ぎかどうかはともかく、これから先の日本が少子高齢化であれば、子供の数より質が大きく左右するので、ある程度教育熱が広がるのは良いことかもしれません。
ちなみに明治以前の日本は教育大国だったそうです。
寺子屋が普及し識字率は世界一で、その積み重ねが明治維新後の経済発展につながったと間きます。
それを思えば現代の日本が新たな教育大国になり、うまく教育の機会を均等に与えることができれば、日本人が今まで以上に世界で活躍する時代がくるかもしれません。

ただ教育とはいいますが、私はその言葉が好きではありません。
確かに“育”は好きですが、“教”というのがあまり好きではなく、しかも “教”という字が“育”より上にあるというのか、いかにも教えてやるという上から目線のイメージがして嫌いです。
それよりは英語の“エデュケーション”の方が好きです。
これは相手の力を引き出すという意味があり、教育の“育”に近い気がするからです。

そう考えれば、特に今まで日本の教育は“教”の方に力が注がれ過ぎていたような気がします。
まさに昔は強く育てること、“強育”だったのでしょう。
小学生の時には教室の後ろで立たされたり、中には脅迫じみだ“脅育”なのか、体罰が行われることもしばしばありました。
ただ行き過ぎて“狂育”にならなくて良かったぐらいで、未だに小学生の時に先生に平手打ちされたことなどは覚えています。
それに比べると最近は、随分とおとなしいようです。
体罰は禁止ですし、かえって先生が生徒に気を遣っているような気さえします。
これか行き過ぎだと感じないこともありませんが、もし教育が“教”より“育”の方に向いているのなら、それはいいことかもしれません。
教育は教えて育てるのではなく、育てるために教えるのだと思うからです。

さらにつけ加えると、その教育がその場しのぎでなければいいなと思います。
その場しのぎの点取りゲームが上手い子や、ただの“いい子”作りでは本物の人間は育たないと思うからです。
つまり今日の人材を育てる、“今日育(きょういく)”ではないということが大事ではないでしょうか?
そして、常に先のこと、未来を考える、これからどれだけ伸びるか、その可能性を信じること、例えば自分の子供が今日できなくても、明日できることを想像することではないでしょうか。

今年度の私たちの病院の目標に、職員のスキルアップを掲げましたが、それはとりもなおさず、私たちがいかに職員を育てるかに負うところが大きいので、我が身になって考えさせられます。
結局、教育する側に長い目、広い視野、それに伴う忍耐が必要なのでしょう。
要は、教育は“今日育(きょういく)”ではなく、明日を育てる“明日育(あすいく)”なのですから。
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by asakura_h | 2010-04-11 18:01 | コラム