トップページ >> 理事長の医ごっそうコラム
asakura01.exblog.jp
<< 卯月はじまり、そして終わり 何もかもサージ加減が大事なようで >> |
多死多様社会を迎えて
|
今日で三月も終わりになります。
桜も満開ですが、一部には葉もでているので、来週にはその美しい姿も見納めになりそうです。
花の命は短いといいますが、同時にはかなさも感じるこの頃です。
というのも、三月の印象的なニュースの一つに、歌手の北島三郎さんの次男が五十一歳の年齢で、孤独死をしていたというのがあります。
次男と言われてもほとんど知らなかったのですが、ミュージシャンで北島三郎さんが歌う”おじゃる丸のテーマソング”を作詞作曲した方だったんですね。
自宅で見つかったのが、死亡から一週間たってのことで、原因は心不全のようですが、突然の致死性の不整脈か、ひどい心筋梗塞などが起きて突然死したのかもしれません。
年齢が近いだけに人ごととは思えませんでしたが、実はこんな話を聞くのは二回目です。
高校時代の同級生の一人に、バンド活動をやっていて、ミュージシャンになったHT君がいて、彼も実は自宅のアパートで突然死しているのを一週間後に発見されたようです。
聞いたのは最近ですが、亡くなったのは二、三年前のようです。
近く同窓会をやるという話で、幹事役の人が連絡をとろうとしたら家族の方から聞かされたそうです。
同じミュージシャンというのも奇遇で、しばらく誰も気がつかなかったことも共通しています。
桜も満開ですが、一部には葉もでているので、来週にはその美しい姿も見納めになりそうです。
花の命は短いといいますが、同時にはかなさも感じるこの頃です。
というのも、三月の印象的なニュースの一つに、歌手の北島三郎さんの次男が五十一歳の年齢で、孤独死をしていたというのがあります。
次男と言われてもほとんど知らなかったのですが、ミュージシャンで北島三郎さんが歌う”おじゃる丸のテーマソング”を作詞作曲した方だったんですね。
自宅で見つかったのが、死亡から一週間たってのことで、原因は心不全のようですが、突然の致死性の不整脈か、ひどい心筋梗塞などが起きて突然死したのかもしれません。
年齢が近いだけに人ごととは思えませんでしたが、実はこんな話を聞くのは二回目です。
高校時代の同級生の一人に、バンド活動をやっていて、ミュージシャンになったHT君がいて、彼も実は自宅のアパートで突然死しているのを一週間後に発見されたようです。
聞いたのは最近ですが、亡くなったのは二、三年前のようです。
近く同窓会をやるという話で、幹事役の人が連絡をとろうとしたら家族の方から聞かされたそうです。
同じミュージシャンというのも奇遇で、しばらく誰も気がつかなかったことも共通しています。
勿論、年々孤独死は増えていて、五十代まで孤独死は全体の四割にもなるし、老人になるともっと増えるでしょう。
だからたまたまミュージシャンなのでしょうけどね。
それで彼のことを少し調べてみたら、あの”時には母のない子のように”で五十年前にヒットをとばした、カルメンマキのバックバンドをしていたようです。
中にはカルメンマキに夜間飛行という楽曲を提供して、シングルカットされてようで、カルメンマキのベストアルバムにものっています。
その曲はエレキギターをフィーチャーしたバラードでなかなかいい曲ですが、最近はどう活動していたんだろう?
ただこれは確認してないでの、なんとも言えませんが。
独身だったのかな?たまたまその時家族が不在だったのか?他にもいろいろ想像させられますが、この話を聞いた同級生の一人は寂しい最後だと言っていました。
確かにそうかもしれないけど、突然やってくる死自体に対しては、本人はそう感じる間もなかったんじゃないかな。
他にやることもあって、それを突然断ち切られたわけだから無念かもしれない。
でも、死とはそういうものだという気がします。
われわれの予定かどおかまいなし、何月何日に死にますからという冥土へのパスポートをくれるわけないですからね。
万が一そういう予定された死があれば、あるで怖いものでしょう。
ようするに、命なんていうのも、危ういバランスの上にたっているもんだから。
寝ていて地震が起きてそのまま天井の下敷きになって死ぬこともありえる話だし。
日常のグッズでさえ使い方次第では凶器にもなります、ちょっと使い方を間違えたら。
ホームを歩いていてそれこそ線路に転落なんてことも。
ちょっとしたことでこのバランスは崩れえるのです。
だから、聖書にも一日一日これが最後だと思って生活をしなさいというフレーズがあるし、日々を大切にしろよってことなんでしょうね。
死より前の状態が大事ということでしょう。
それで彼のことを少し調べてみたら、あの”時には母のない子のように”で五十年前にヒットをとばした、カルメンマキのバックバンドをしていたようです。
中にはカルメンマキに夜間飛行という楽曲を提供して、シングルカットされてようで、カルメンマキのベストアルバムにものっています。
その曲はエレキギターをフィーチャーしたバラードでなかなかいい曲ですが、最近はどう活動していたんだろう?
ただこれは確認してないでの、なんとも言えませんが。
独身だったのかな?たまたまその時家族が不在だったのか?他にもいろいろ想像させられますが、この話を聞いた同級生の一人は寂しい最後だと言っていました。
確かにそうかもしれないけど、突然やってくる死自体に対しては、本人はそう感じる間もなかったんじゃないかな。
他にやることもあって、それを突然断ち切られたわけだから無念かもしれない。
でも、死とはそういうものだという気がします。
われわれの予定かどおかまいなし、何月何日に死にますからという冥土へのパスポートをくれるわけないですからね。
万が一そういう予定された死があれば、あるで怖いものでしょう。
ようするに、命なんていうのも、危ういバランスの上にたっているもんだから。
寝ていて地震が起きてそのまま天井の下敷きになって死ぬこともありえる話だし。
日常のグッズでさえ使い方次第では凶器にもなります、ちょっと使い方を間違えたら。
ホームを歩いていてそれこそ線路に転落なんてことも。
ちょっとしたことでこのバランスは崩れえるのです。
だから、聖書にも一日一日これが最後だと思って生活をしなさいというフレーズがあるし、日々を大切にしろよってことなんでしょうね。
死より前の状態が大事ということでしょう。
そう思うと、果たして自分の最後もどうなるかな?
まさに他人の死をみて、我が死を振り返るです。
何しろ2015年の時点で年間の日本の死亡者数が130万人、これがピークの2040年辺りには160万人を超えるそうで、いよいよ多死社会に突入していきます。
一方、葬儀の形も様々に変貌しています。
だいたい葬儀というと、お通夜、告別式のスタイルが基本で、喪主となる子供さんの仕事関係などで、参列者の多い、大きな葬式も多かったような気がします。
遺骨も先祖代々の家の墓地に入っていましたし、初七日とか四十九日とか、終わった後もいろいろと行事があって、ややこしかったものです。
それが今では高齢でなくなる人が多く、喪主も定年後の方も多く、仕事関係とかの参列も少なく、参列者の平均の数も減って、葬式の規模も縮小しているようですね。
家族だけで一晩過ごす、直葬というのも増えてきているとか。
また簡便に、お坊さんも低価格で出張してくれるサービスもあるそうです。
その上墓を守ってきた身内もおらず無縁墓も増えているようなので、自治体が共同で埋葬するようなところもでてきているようです。
さらに家によっては遺骨を置くスペースもないことから、散骨のサービスもあるのでそれを利用するとか、中には遺骨をダイヤモンドにして持っている人もいるとか。
それからお墓というと墓石ですが、最近では樹木を墓代わりに植えているところもあるようです。
なんて、こうやって列記していると、いろいろと変わってきたのがわかります。
さすがに初七日とかいうのは続きそうですが、死も多様化しているということなんでしょうね、
まさに多死多様社会の到来です。
どれを選ぶのか、個人の意思ですから、ここはじっくり考えたいところですが、そう言っている間に死が来るのもよくある話で、難しいところですね。
ただ慌てて墓穴を掘って浅はか(墓)だと言われないように、せめてしたいですね。
何しろ2015年の時点で年間の日本の死亡者数が130万人、これがピークの2040年辺りには160万人を超えるそうで、いよいよ多死社会に突入していきます。
一方、葬儀の形も様々に変貌しています。
だいたい葬儀というと、お通夜、告別式のスタイルが基本で、喪主となる子供さんの仕事関係などで、参列者の多い、大きな葬式も多かったような気がします。
遺骨も先祖代々の家の墓地に入っていましたし、初七日とか四十九日とか、終わった後もいろいろと行事があって、ややこしかったものです。
それが今では高齢でなくなる人が多く、喪主も定年後の方も多く、仕事関係とかの参列も少なく、参列者の平均の数も減って、葬式の規模も縮小しているようですね。
家族だけで一晩過ごす、直葬というのも増えてきているとか。
また簡便に、お坊さんも低価格で出張してくれるサービスもあるそうです。
その上墓を守ってきた身内もおらず無縁墓も増えているようなので、自治体が共同で埋葬するようなところもでてきているようです。
さらに家によっては遺骨を置くスペースもないことから、散骨のサービスもあるのでそれを利用するとか、中には遺骨をダイヤモンドにして持っている人もいるとか。
それからお墓というと墓石ですが、最近では樹木を墓代わりに植えているところもあるようです。
なんて、こうやって列記していると、いろいろと変わってきたのがわかります。
さすがに初七日とかいうのは続きそうですが、死も多様化しているということなんでしょうね、
まさに多死多様社会の到来です。
どれを選ぶのか、個人の意思ですから、ここはじっくり考えたいところですが、そう言っている間に死が来るのもよくある話で、難しいところですね。
ただ慌てて墓穴を掘って浅はか(墓)だと言われないように、せめてしたいですね。
by asakura_h
| 2018-03-31 09:49
<< 卯月はじまり、そして終わり 何もかもサージ加減が大事なようで >> |