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追悼・渡辺淳一先生
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先日、作家の渡辺淳一先生が、前立腺癌で亡くなられました。
渡辺先生は、ダブル不倫小説の失楽園など、確かに性愛小説の巨匠ではありますが、個人的にはそれだけの作家ではないと感じています。
80年代、山田詠美氏の直木賞受賞の理由に、セックスが先に存在する愛を表現したうんぬんをあげられていましたが、当時は恐らくセックスと愛を切り離して考える、言わば肉体と精神は別物で、精神こそは崇高みたいな風潮があった気がします。
ところが、渡辺先生は精神と肉体は一体で、ともすれば精神も生理現象であることから出発され、その肉体に関して膨大な医学の知識が支え、今主流のEBM(Evidence-based medicine、根拠に基づく医学)ならぬEBN(novel、根拠に基づく小説)の先駆けだったのではと思えるからです。
だからこそ、人は性というものからは逃れられない、あまつさえ性は生や死とも絡み合うからこそ、男女の究極の性愛を表現することになったと思います。
その点が、素晴らしい描写力の元に、無意識的に読者には説得力を与えていた気がするのですが、どうでしょう?
だから、渡辺先生以前に、医者出身と言えば精神科からの作家が多かったのは、まさに文学が精神の延長線という象徴で、それが外科という肉体を相手にする分野からの転身というのも、ある意味では必然だったのでしょう。
渡辺先生の出現によって、文学は観念から開放され、はじめて“肉体”を持ったと言えるかもしれません。
そう思いながら6年前、当院の開院40周年記念に、“超高齢社会の生き方とは”という主旨で、渡辺先生に講演していただいた時のことを思い出しました。
おかげで大盛況に終わり感謝でしたが、面白いのはその後の宴席です。
そもそも講演会場から宴席会場までは、車で10分の距離、渡辺先生以外の講演者で、老年病の巨星である小澤元教授、土居前教授、松林京大教授のそうそうたる面々もそれぞれ車で送り、30分後に宴会を用意していましたが、なかなか渡辺先生だけが来ませんでした。
予定より15分遅れでやっと現れましたが、その理由を担当運転手に聞くと、先生の付き人から、「宴会は皆さんが渡辺先生を迎え入れる形にしてくれ」と言われ、10分で到着するところを無理やり遠回りして30分かけて来たとか。
思わず渡辺先生の付き人の気遣いには苦笑ですが、宴席での話は興味深いものでした。
寺島しのぶ主演で映画化された、小説“愛の流刑地”のベースは、実はアルベル・カミュの異邦人だといった裏話や、女性の方が身体は強く、男性の心臓を女性に移植した後、妊娠したら男性の心臓は持たないなど、これには小澤先生をはじめ、頷かれていました。
まさに巨匠逝く、それなのにこんな苦笑のエピソード披露は、少々失礼だったでしょうか?
失楽園ならぬ、失礼宴かな?合掌。
渡辺先生は、ダブル不倫小説の失楽園など、確かに性愛小説の巨匠ではありますが、個人的にはそれだけの作家ではないと感じています。
80年代、山田詠美氏の直木賞受賞の理由に、セックスが先に存在する愛を表現したうんぬんをあげられていましたが、当時は恐らくセックスと愛を切り離して考える、言わば肉体と精神は別物で、精神こそは崇高みたいな風潮があった気がします。
ところが、渡辺先生は精神と肉体は一体で、ともすれば精神も生理現象であることから出発され、その肉体に関して膨大な医学の知識が支え、今主流のEBM(Evidence-based medicine、根拠に基づく医学)ならぬEBN(novel、根拠に基づく小説)の先駆けだったのではと思えるからです。
だからこそ、人は性というものからは逃れられない、あまつさえ性は生や死とも絡み合うからこそ、男女の究極の性愛を表現することになったと思います。
その点が、素晴らしい描写力の元に、無意識的に読者には説得力を与えていた気がするのですが、どうでしょう?
だから、渡辺先生以前に、医者出身と言えば精神科からの作家が多かったのは、まさに文学が精神の延長線という象徴で、それが外科という肉体を相手にする分野からの転身というのも、ある意味では必然だったのでしょう。
渡辺先生の出現によって、文学は観念から開放され、はじめて“肉体”を持ったと言えるかもしれません。
そう思いながら6年前、当院の開院40周年記念に、“超高齢社会の生き方とは”という主旨で、渡辺先生に講演していただいた時のことを思い出しました。
おかげで大盛況に終わり感謝でしたが、面白いのはその後の宴席です。
そもそも講演会場から宴席会場までは、車で10分の距離、渡辺先生以外の講演者で、老年病の巨星である小澤元教授、土居前教授、松林京大教授のそうそうたる面々もそれぞれ車で送り、30分後に宴会を用意していましたが、なかなか渡辺先生だけが来ませんでした。
予定より15分遅れでやっと現れましたが、その理由を担当運転手に聞くと、先生の付き人から、「宴会は皆さんが渡辺先生を迎え入れる形にしてくれ」と言われ、10分で到着するところを無理やり遠回りして30分かけて来たとか。
思わず渡辺先生の付き人の気遣いには苦笑ですが、宴席での話は興味深いものでした。
寺島しのぶ主演で映画化された、小説“愛の流刑地”のベースは、実はアルベル・カミュの異邦人だといった裏話や、女性の方が身体は強く、男性の心臓を女性に移植した後、妊娠したら男性の心臓は持たないなど、これには小澤先生をはじめ、頷かれていました。
まさに巨匠逝く、それなのにこんな苦笑のエピソード披露は、少々失礼だったでしょうか?
失楽園ならぬ、失礼宴かな?合掌。
by asakura_h
| 2014-05-31 12:30
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