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今回の”ヒット事”は”人事(ひとごと)”じゃない台風
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昔は台風銀座などと呼ばれて、台風の代名詞のように言思われていた高知県も、ここ30年ほど台風が直撃というより、かすめることが多かったように思います。
台風通過後には土木建築需要が結構あり、地域の経済活性化にもなっていたので、いよいよ高知県は台風にも見放されたかと言われていましたが、先日の台風12号は7年ぶりに高知を直撃しました。
台風直撃は英語で「アタック」ではなく「ヒット」なので、まさに土佐の“ヒット事”なんてダジャレを飛ばしていたら、その結果はシャレになりませんでした。
やはり台風は怖い・・・。
特に奈良や和歌山など近畿南部は、今回の台風に伴う大雨で土砂崩れが起き、川がせき止められてできた土砂ダムが決壊寸前なんて、まさに人事(ひとごと)ではない、自然事の脅威を痛感するばかりです。
その原因は、台風が随分もたついたせいですが、そのもたつき方も半端でなかったのが今回の台風の特徴でしょう。
普通、台風が過ぎ去ると翌日からは、カラっとした台風一過の快晴というのが多いのですが、今回は翌日も厚い雲が覆って、カラッと晴れたのはさらにその翌日ですから何という鈍足ぶりです。
時速10kmと言うから、早歩き程度でしょうか?
長々と降らした雨は2000ミリを超える亜熱帯地域レベルの雨量で、がっぷり四つに組んだはずの高知県より他の地域の被害がひどいのは、きまぐれな雲の分布のせいでしょうか、分かりませんが・・・。
それにしても、高知を直撃して大きな被害を出した台風と言えば、昭和45年8月の台風10号と昭和51年9月の台風17号です。
昭和45年といえば中学生だったのですが、猛烈な雨と風で家も停電になり、高潮の影響で高知市内の一部も浸水、確かラジオで被災者のためにとの呼びかけがあり、自宅から毛布か何かを県庁まで届けた記憶があります。
その時の煌々と自家発電で明るい県庁は印象的でした。
昭和51年は東京で1年間に降る雨量がたった1日で降り、市内のほとんどの河川が決壊、高知市長が「自分の命は自分で守れ」と非常事態宣言を出しました。
NHK高知放送局も浸水し、アナウンサーがその前で水に浸かりながら報道していたのを覚えています。
その当時は久万という所に住んでいて、見事に家の一階が水没しました。
その水かさが増す勢いの速いこと速いこと、「あれっ、上がってくるぞ、くるぞ」という間に一階を浸し、畳はぷかぷか浮いた状態。
慌てて二階に避難しましたが、二階は大丈夫なのかという不安に怯えていました。
さらに、その水の臭いこと臭いこと、下水と一緒になっているのかコーヒー色の水は不気味なほど澱んでいて、飲んだらきっと一発下痢退場!間違いなしですね。
おかげで水が引いた台風一過の翌日は、泥まみれになった家の大掃除でした。
そんな台風、近づく時のだんだん強くなる風と、流れゆく雲の風雲急を告げる感じにワクワクして、被害さえなければ好きなんだけどなあ・・・。
台風通過後には土木建築需要が結構あり、地域の経済活性化にもなっていたので、いよいよ高知県は台風にも見放されたかと言われていましたが、先日の台風12号は7年ぶりに高知を直撃しました。
台風直撃は英語で「アタック」ではなく「ヒット」なので、まさに土佐の“ヒット事”なんてダジャレを飛ばしていたら、その結果はシャレになりませんでした。
やはり台風は怖い・・・。
特に奈良や和歌山など近畿南部は、今回の台風に伴う大雨で土砂崩れが起き、川がせき止められてできた土砂ダムが決壊寸前なんて、まさに人事(ひとごと)ではない、自然事の脅威を痛感するばかりです。
その原因は、台風が随分もたついたせいですが、そのもたつき方も半端でなかったのが今回の台風の特徴でしょう。
普通、台風が過ぎ去ると翌日からは、カラっとした台風一過の快晴というのが多いのですが、今回は翌日も厚い雲が覆って、カラッと晴れたのはさらにその翌日ですから何という鈍足ぶりです。
時速10kmと言うから、早歩き程度でしょうか?
長々と降らした雨は2000ミリを超える亜熱帯地域レベルの雨量で、がっぷり四つに組んだはずの高知県より他の地域の被害がひどいのは、きまぐれな雲の分布のせいでしょうか、分かりませんが・・・。
それにしても、高知を直撃して大きな被害を出した台風と言えば、昭和45年8月の台風10号と昭和51年9月の台風17号です。
昭和45年といえば中学生だったのですが、猛烈な雨と風で家も停電になり、高潮の影響で高知市内の一部も浸水、確かラジオで被災者のためにとの呼びかけがあり、自宅から毛布か何かを県庁まで届けた記憶があります。
その時の煌々と自家発電で明るい県庁は印象的でした。
昭和51年は東京で1年間に降る雨量がたった1日で降り、市内のほとんどの河川が決壊、高知市長が「自分の命は自分で守れ」と非常事態宣言を出しました。
NHK高知放送局も浸水し、アナウンサーがその前で水に浸かりながら報道していたのを覚えています。
その当時は久万という所に住んでいて、見事に家の一階が水没しました。
その水かさが増す勢いの速いこと速いこと、「あれっ、上がってくるぞ、くるぞ」という間に一階を浸し、畳はぷかぷか浮いた状態。
慌てて二階に避難しましたが、二階は大丈夫なのかという不安に怯えていました。
さらに、その水の臭いこと臭いこと、下水と一緒になっているのかコーヒー色の水は不気味なほど澱んでいて、飲んだらきっと一発下痢退場!間違いなしですね。
おかげで水が引いた台風一過の翌日は、泥まみれになった家の大掃除でした。
そんな台風、近づく時のだんだん強くなる風と、流れゆく雲の風雲急を告げる感じにワクワクして、被害さえなければ好きなんだけどなあ・・・。
by asakura_h
| 2011-09-10 12:21
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