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医ごっそうのコラム茶や!


医療法人 仁泉会「朝倉病院」理事長の医ごっそうコラムです。
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神経内科とは?入門の入門
私は一応、神経内科医ですが、あまり神経内科医と言われてもよく分からない方も多いので、ここで少し説明しようと思います。

神経内科とは主に、その名の通り神経系統の病気を診る内科ですが、精神科や心療内科、脳外科と混同する場合が多いようです。
神経系統はご存知の通り、脳と脊髄からなる中枢神経と、体全体に張り巡らされた末梢神経から成り立っています。
脳といっても神経が集合したもので、いわば電気コードを集めてぐるぐる巻いたものと大雑把にイメージしても構いませんが、実際は豆腐のような柔らかい脳の中に、直径数ミリほどの血管が張り巡っており、その様は解剖で見ても神秘的です。
この神経が壊れて生じるのが神経疾患です。
コンピューターに例えると、ハードウェアの損傷ですね。
構造が壊れて機能がやられるわけです。
そんなわけで脳卒中や認知症、パーキンソン病などの疾患を扱います。
症状としては、手足の力が入らない、痺れなどで整形外科、めまいで耳鼻科、頭痛やてんかんで脳外科とまたがります。
大きな病院では、頭痛などに専門外来を設けている所もあります。

精神科は、思考や感情の病気を扱いますから、脳のソフトウェアの障害といえます。
別の言い方では、構造的な損傷より機能の問題を扱います。
統合失調症(昔で言う精神分裂病)、うつ病、神経症などですね。
認知症は神経内科とまたがりますが、徘徊や暴力など精神症状が強く、入院させたい場合には精神科のほうが対応に慣れているため、利用しやすいなどの利便性があります。

心療内科は心が体に影響を及ぼし、実際に症状が出る疾患を扱います。
例えば、ストレスが高じて気管支喘息になったりとかです。
いわば精神科と内科のハイブリッド(合いの子)ですね。

脳外科は正式には脳神経外科、神経内科の外科版ですから、神経内科は脳内科と言ってもいいわけです。
ただし、手術できる病気に限られますから、脳腫瘍やくも膜下出血、脳外傷などが多くなります。

このように分類されていますが、法的には診療を希望する患者を、専門外であることを理由に断れないことになっています。
つまり医師免許は、ひと通り診れるということになっているわけで、その為に医師は何科を標榜するのかは比較的自由です。
しかし、実際は専門に分かれ得手不得手があります。
正確にはすごい得手不得手と言うべきですが、専門外でもその専門医を紹介してくれますので、心配はそれほどいらないと思います。

何しろ患者側から見たら時、内科に限って言えば、こんな専門より患者の気持ちをあまり読めない“無神経内科”か、そうでないかが問題かもしれません。
そうなると、神経内科医で”無神経内科医”と思われた日には、最悪かもしれませんね。
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by asakura_h | 2011-03-29 11:48
悪・薬・核
クイズです。
悪・薬・核に共通するものは何でしょう?

答えは読みの最後が”aku”になることです。
確かにそれも答えのひとつなのですが、もうひとつの答えは害もありますが、うまくコントロールすれば益になるものじゃないかと思います。

悪は確かに悪いことです。
悪を根絶することは大事なことですが、癌細胞と同じように人間の根源にも関わることですので、根絶はなかなか困難に思えます。
人類の歴史は、これをいかに知恵でコントロールするかといってもいいかもしれません。

例えばパイレーツオブカリビアンで大人気の海賊などは悪の典型例ですが、16世紀頃、イギリスは彼らを利用して当時全盛だったスペインなど、先進国の財宝を略奪して蓄財しました。
挙句の果てには、親玉のドレイクを中心にスペインの無敵艦隊をも撃破して覇権国になっていきます。
ドレイクは貴族にまで成りましたが、海賊の利用が終わると今度は、取り締まりに切り替わります。
恐らく海賊が人気なのは、力がありながらその政府に、いいように利用されて捨てられる悲劇性にあるかもしれません。

これが必要悪というものでしょうか?
悪を悪によって封じ込めることに似てますね。
また絶対悪というのも少なく、多くは相対悪です。
北アフリカのリビアのカダフィ大佐は、確かに民衆からすれば悪かもしれませんが、その支持者から見れば必ずしも悪ではないのでしょう、その証拠に内乱になっています。

このように悪の根絶は不可能ですが、きちんとコントロールすれば、うまくその力を利用できる場合があります。
そのコントロールの為に人類は、法律、宗教や道徳などを発明してきたと言えるかもしれません。
ただし不可能だと思いながらも、悪なき世界の飽くなき追求は必要だと感じますが、薬もそうですね。
以前「飽薬の時代」でも書きましたが、使い方によっては役にも厄にもなります。

三番目の核は言わずもがなです。
原子爆弾としての使用により、広島や長崎、第五福竜丸は多大な被害を受けましたが、それでもまだ核兵器は多く存在しています。
核なき世界の理想は、悪と同じように現実的には難しい問題かもしれませんが、思いは必要でしょう。

一方、人類に利益をもたらす目的で登場した原子力発電も安全な利用と言いながら、今回の東日本大震災で大変な事態になっています。
東京電力の津波に対する警告がありながら、十分に対策の手を打ってこなかったとか、被害を甘く見てその対応が後手に回っているとか批判も耳にします。
核は悪と同じだという意識が希薄なのでしょうか?
場合によっては”究極の悪”(k-aku)かもしれないのに。
それが故、最も細心の注意を払ってコントロールの必要があるものだということを・・・。

それにしても現場の方々の懸命な対応には頭が下がります。
うまく早期に解決できるといいですが、最後にお願いしたいことはただひとつ「核(の)仕事は”隠し事”なし」あるいは「隠すなら核すな」、それだけです。
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by asakura_h | 2011-03-26 09:15
別の国になるのかな?
東日本大震災はまだ全貌が見えません。
原発事故も予断を許さない状態が続いています。まさに言葉を失う毎日です。

政府や東京電力には、今回の対応について批判が出されています。
同時に励ましの言葉も、様々なメディアを通じて盛んに飛び交っていますが、個人的にはどんな言葉も今の状況には無力のような気がします。
被災者が今、最も欲しいのは実際の物資や援助の手でしょうし、頑張らないといけないことも助け合うことも、負けないということも十分に分かっているでしょうから、何故か美しい言葉が虚しく響きます。
もちろん心無い言葉は問題外ですが・・・。
ただし、身内や親しい方からの言葉は有難いでしょうね、繋がっている人からの言葉は・・・。

この地震をきっかけに日本が変わるんじゃないかと思ったりします。
変わるのは私たちの心の地形、いわば意識です。
なぜなら、この地震災害からの復興には何十兆円という単位のお金が必要ですし、今年の電力不足は補えるのか?国内の3分の1を占める原子力発電を今後どうするのか?やめるならどうやって供給をするのか?など、財政面も含めた様々な課題が降りかかってきます。
ライフスタイルの変更も必要かもしれません。

隣の韓国は、1997年のIMF管理下におかれるという経済危機から国が一変したそうです。
それまでの日本のような互いに支え合う社会から競争社会に変貌しました。
受験戦争の厳しさはまさに教育ではなく“競育”そのものです。
何しろ一流大学じゃないと、一流会社には正職員としての就職は困難です。
その一流会社も国際競争に勝つために、国内予選を防ぐ意味で少数ですから。
その結果、少数の勝ち組の下に多くの負け組がいるという社会構造が作られました。
今後、日本がどう変わるか予見できませんが、危惧するのは高齢者医療に対してです。

例えば、フランスもここ10年でがらりと意識が変わったそうです。
カトリックの国ですから、手厚く高齢者を看ることが当たり前で、食事摂取が困難な高齢患者に、胃ろうという皮膚を通して胃に穴を開け、そこからチューブで栄養を補給する方法が盛んに行われていましたが、今では摂取可能な患者に限られているようです。
つまり、食べられなくなったらもう人生は終わりというわけです。

こういう考え方は、誰が原因というわけではありません。
医療費の高騰もあり、患者やその家族の意識が変わったことや、医師もあまり胃ろうを奨めなくなったこともあるでしょう。
ただ、これが財政危機に煽られた、弱者切り捨ての一端だとすれば嫌だと思います。
あの小泉改革以上の“キリステ教”の復活は御免です。

そしてこの震災で改めて認識したのは、衣食住に医介護を加えた“医衣食住”は命のインフラだということです。
あって当たり前のものの重要性に気付かされるこの頃です。
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by asakura_h | 2011-03-23 15:02
日本が揺れている
今年に入って地球が大きく揺れているように感じます。
北アフリカで革命騒ぎかと思えば、リビアでは内乱の様相ですが、まさかニュージーランドの地震に続いて東日本大震災が起こるとは・・・。

この大震災は千年に一度の災害だそうですが、確かに2001年に起きたアメリカ9.11テロ以来の衝撃を覚えました。
仙台空港を襲うドス黒い津波の恐怖、炎上する千葉の石油タンク、次第に明らかになってくる被害の大きさ、まさか死者・行方不明者が万単位になるとは・・・。
これが福島第一原発の原子炉事故を誘発し、いまだに放射能汚染危機状態が続いています。

それにしても罹災された方々は大変です。
遺体収容もままならない中、生活を立て直すにしても、何もかも失っています。
また援助する側も、あまりに広範囲のため、どこから手をつければいいのか分からない上に、原発の恐ろしさですから、始末に負えません。

高知県でも義援金活動が始まりました。
日本赤十字などはスタッフを現地に派遣しているようです。
日本中の誰もが思ったのが、これは他人事ではなく、明日は我が身だということでしょう。
津波に限れば、特に海岸や川岸に住んでいる方にとっては切実に違いありません。

報道の中で印象に残った言葉が、自助、共助、公助の順に重要だということです。
公的な助けを期待する前に、自力で助かる方法を考える。
その上で家族や近所、職場で共に助け合うことが必要だそうです。
そりゃそうです、大災害では公的機関の壊滅もあり得ます。
もちろん、自助とは自分だけ助かることではありませんが、その為には日頃から何をしなくてはいけないのか?食料や水などの備蓄、地震や災害についての勉強や訓練、情報収集のための手段確保など色々ありますが、運ばかりはどうしようもないですね。
ただし上記のことで”運”の部分を少なくできる可能性はあるかもしれません。

とにかく一刻も早く復旧することを祈るばかりです。
当院でも微力ですが、義援金はもちろんスタッフの派遣も検討しています。

ただ気になるのが、イベントが次々と中止されることです。
節電や余震の心配もあるでしょう。
楽天イーグルスのように仙台が本拠地であるプロ野球の延期はやむを得ませんが、中には卒業式の中止も耳にしますし、テレビCMもAC(公共広告)ばかりで事実上中止です。
卒業は本人や家族、スタッフの努力の結果です。
テレビCMも放送して収益を義援金に回せばよいと思いますが、あまり一時的な自粛の嵐に”自縮”になるのも考えものです。
自制は必要ですが・・・。

何しろいずれ、喉元過ぎればすぐに忘れてしまうのが、我々の常ですからね。
5年後、10年後に「ああ、そんな災害がありましたね」じゃあ犠牲者も浮かばれません。
そこはearthquake(地震)でいい加減wake(目覚め)しないといけませんね。
自戒も込めて。
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by asakura_h | 2011-03-19 09:41
観光合戦、南四国大会開催中
隣県は何かと気になるものです。
昔は、高校野球でも高知県と徳島県は南四国大会があり、出場が一校でしたから、甲子園代表をめぐり、互いに競い合っていました。
そんな両県の県民性は正反対です。

もともと四国四県の県民性にはそれぞれ特徴があり、たとえば、1万円をあげると貯金するのが香川県、自分のお金を足してまで貯金するのが徳島県、そのまま使ってしまうのは愛媛県、自分のお金を足して使い切ってしまうのは高知県です。
いわば、ドケチとド浪費の両極端県です。

高知県の人は日曜日などの朝、気分転換を兼ねて喫茶店に行く人が結構います。
高知県から徳島県に嫁いだ人がある日曜日の朝、喫茶店に行くことを姑に進言したところ、「家にコーヒーも卵もサラダもあるし、行く必要がないでしょ」と却下されたとか、さらに徳島のお店は無愛想に映るようです。
そういう徳島県から見れば、高知県は酒飲みでルーズに見えるかもしれませんが、事実か?

また、徳島県には大塚製薬や発光ダイオードの日亜化学など、名だたる企業があります。
対する高知県はマンガとか、くもんの幼児教育とか、ロマンに近いビジネスが得意かもしれませんね。

そして両県とも踊りが有名です。
徳島県は阿波踊りでいかにもフェスティバルという感じ、高知県はよさこい鳴子踊りでカーニバルのような感じがします。
何しろ江戸時代からの歴史ある阿波踊りは、きちんとした踊りの型がありますが、戦後復興の時期につくられたよさこい鳴子踊りは、最初こそ型がありましたが、今では鳴子さえ持っていればどんなリズムで踊ろうが許されます。

そんな両県の今年の目玉のひとつが観光です。
高知県は去年の坂本龍馬ブームをつなぎ止めようと、引き続いて龍馬ふるさと博を開催しています。
一方の徳島県は、中国人観光客を呼び込もうと静岡県と提携しながら、中には医療ツアーも企画しているようです。
どちらに軍配が上がるのかは分かりません。
徳島県はさすがにトクシマす分野には抜け目ないですが、無愛想を克服できるのかが課題だと老婆心で思ったり・・・。

それにしても、高知県の観光はイベント頼みで変わり映えしません。
だったら代案を出せよ、と言われても思いつかないのが辛いとこですが、ただいつも坂本龍馬頼りです。
純信とお馬の話やジョン万次郎、長宗我部元親など歴史キャラはいっぱい居そうですが・・・。

もしどうしても坂本龍馬でいくなら、岩崎弥太郎が幼馴染だなんて嘘も混じり、最終回は龍馬でんと言っていた龍馬が出た「龍馬伝」です。
いっそのこと龍馬は助かったことにすれば良かったのでは?
そうして今年は、別の時間帯で影のフィクサーとして龍馬が生きて活躍した架空の日本歴史の話となる。
あるいは実の子がいて、現在の日本を救うために龍馬三世が総理として登場・・・なんて面白くないか?

いずれにしろ観光合戦、いっそのこと一緒にやれば?水と油??
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by asakura_h | 2011-03-15 16:48
病状説明も治療
日本の医学は明治維新にはドイツから学んでいました。
その影響もあって、多くは英語表記に変わってきましたが、まだ若干ドイツ語も使われています。

ガーゼ、ギプス、カルテ、クランケ(患者)など、よく耳にする言葉がありますね。
その中でムンテラという言葉は、一般にはあまり耳にしたことがないかもしれません。
これは患者さんに病状説明をすることです。
「今日はきちんとムンテラしておけ」と、上司のドクターから指示がありますが、医学生の中にはよく意味を知らない者もおります。

元々はムントテラピーの略です。
ムントは口、テラピーは英語のセラピー、療法にあたります。
口で治療するのがムンテラというわけですが、別に口を治療に使うわけではなく、口から発する言葉で治療することを言うのです。
つまり、日頃から私たちドクターが使っているムンテラ、病状説明は実は治療のひとつだというわけです。
ですから通り一辺倒に「あなたはこういう症状で、こんな病気ですから、こういう治療法があり、その結果このような治癒率になりますから、どれを選択しますか?」など事実をそのまま伝えても何もなりません。
その時の患者さんの心理状態を推し量りながら、言葉を選んで説明しますが、最終的には安心を与え、信頼を得ることがこの治療の目的のひとつなのです。

3年ぐらい前に自分の母親が、右上肢の骨折で手術を受けることとなりました。
その説明は懇切丁寧で、手術後における副作用を事細かに教えてくれました。
実は骨髄の脂肪が間違って脳に流れていって、脳梗塞になることなどですね。
もちろん、このようなことが起こるのは100例中に1ないし2例くらいだと思います。
親切に教えてくれたのは良かったのですが、母親が却って心配になって手術をためらうようになりました。
最終的には無事に手術を終えましたが、反省点は事細かな説明は家族が聞いておいて、大雑把な説明を本人にしてもらうべきだったということです。

確かに事実は正確に説明する必要がありますが、相手に応じてその程度を変えることも考慮する必要性があると思います。
医学が完全な科学でないところはここにあります。
例えば、開業医が真面目で優秀な先生より、大雑把でも安心を与えてくれる先生のほうに人気があるのもそのためです。

口は災いの元と言われますが、言葉ひとつで患者さんを生かすことも殺すこともできるのが、医者の怖いところです。
医療は安全の上に成り立っているわけで、患者さんは安心の上にいたいと思っています。
医師も安定の上で治療を施したいはずですから、医師の言葉は常に治療であるという自覚は大事ですね。

ひょっとして、治療の前に半分治療が終わってるってことも・・・。
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by asakura_h | 2011-03-11 10:18
保育園で地育ダンス
緑に恵まれた春野町に、朝倉病院の関連施設である「うららか保育園」があります。
つい先日には発表会があり、約100名の元気な園児の歌や演技を堪能できました。

園児を見ると、つくづく二つの宝物を大事にしてもらいたいと思います。
一つは保育園で出会った先生や友達という仲間、もう一つは思い出です。
この二つの宝物の芽ができれば、保育園の役割ができたと思います。

ところでこの保育園は、病児保育や一時保育なども取り入れて、地域に役立っていますが、それ以上に気がついたことは、運動会や夏祭りには多くの地域の住民の方々が集まり、地域のひとつのコミュニケーションの場になっていることです。

昭和30年代、40年代のあの当時は、子供がいっぱいというような特集をテレビで見ました。
それこそ画面は白黒ですが、年齢も様々な何十人もの子供たちが、道路に溢れんばかりになり、縄跳びや鬼ごっこでワイワイと遊んでいる姿が見えます。
時折通るバイクが、子供たちに遠慮していく姿が印象的です。
子供たちは勝手に他の家に張り込んだり、駄菓子屋などは子供たちのたまり場で、まるで遊びの前線基地のような感じです。

また、子供たちの遊び場は通りにとどまりません。
工場の空き地に張り込んだり、工場の屋根によじ登ったり、おかげで大人に怒られる場面もありますが、その怒る様子がどことなく微笑ましく思えるのが、今と随分違うように感じました。
現在のその場所をカラーでも見れました。
確かに美しい町並みが並んでいますが、子供たちの声はなくひっそりとしています。
街の住民も高齢化しており、繋がりも薄れているそうです。

それはそうです。
子供がいると、子供を中心に親同士が繋がりをもち、交流することが多くなりますが、それがなくなるわけですから。
いわば子供は社会の接着剤の役割をしていたのです。

今ではその繋がりを何とか取り戻そうと、地区で子供たちの交流会などをやっているそうですが、あれほどの喧騒を期待するのは難しそうです。
しかし、やらないとそのままですからね。

そういう意味では、保育園が地域に果たす役割は大きいと思います。
子供たちを中心に、親たちと先生方が協力しあい、様々な行事を盛りたててくれます。
その結果、卒園の日の夜は父兄が集まり酒盛りです。

昔と違って保育園には、養育以外にも知育、食育、体育など色んな「育」が期待されていますが、自分も子育てに少しは関わると、結局、保育というのは先生や親を含めた、保護者の育成だという気もします。

さらに、地域を育てる”地育”も重要ですね。
地域の方々が保育園を媒介に踊る地育ダンス(チークダンス)、参加希望者受付中です。
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by asakura_h | 2011-03-08 12:08
老若なんにょ(の)その
前回触れた草食系男子、ネットで検索すると、化粧に興味のある装飾系男子や、仕事を創りだす創職系男子もいるそうです。
確かに仕事を創ることはいいのですが、余計な仕事を増やすのは騒職系でしょうね。

最近、NHKの番組で近頃の若者について、中高年と若者の討論番組があり、思わず中立の立場で見ていました。
その中で中高年の主張は、今の若者は頼りないとか、チャレンジ精神が足りないとか指摘がありましたが、よく考えてみれば、若者は前世を持っていないかぎり白紙のまま生まれてくるわけで、その時代の空気を反映していますから、若者を非難するということは、結局自分たちを批判していることになるような気がします。
だからといって、ある程度の年齢になって自分の置かれている状況を自覚していくことは必要なわけで、それがないのも人間の本能としておかしいのではないかと思ったりします。

また、最近の若者のアンケートで気になったのが、これでいい、現状のままでいい、などと他からの意見をあまり取り入れようとしない点です。
それでもう完成形かよ?まだ完全未完成だろう、中高年でさえ新しい自分を模索している人もいる時代なのに。

もしかして草食系男子が優しくてセックスに興味が薄いのではなく、精神が老化しているのだとすれば大変です。
昔、お年寄りの方とテニスをする機会があり、「なんだ、おじいさんか。簡単に勝てる相手よ」と見くびっていました。
ところが、返ってくる球は確かに緩いのですが、なんとなく打ち返しにくい、打ちにくいポイントに鋭く返してくるので、結局負けてしまいましたが、これがベテランなんだなと思ったことでした。
歩いて去っていくうしろ姿に幾多の経験を経た、いわば熟成されたワインのような風味を感じました。渋いな・・・。

こういう人たちの人生観を聞けば、さぞかし深みがあるのでしょう。
経験のない若者が世界を知ったかぶりする意見、あるいは自分を限定する意見には、もったいないなと思ったりします。

日本では言い方を変えてごまかす傾向があります。
少女売春を援助交際と言い換えるような。
だから草食系男子ではなくて、ただの早老系男子、早成系男子、つまり単なる精神の老化をごまかしているのでなければいいですね。

イギリスの小説家フォスターの言葉に、「老齢と老化をいっしょくたにするのは避けなくてはならない。老化はほとんどどんな年齢でも我々に襲ってくる感情である」というのがあります。
老齢は生理的なことです。
100歳近くになっても新たなことにチャレンジしている方もいます。
老若は関係ないですよね。

一歩踏み出すのが大事と言いながら、いつの間にか若い人の批判・・・。
自分が中高年のサイドにいるのは老齢・・・だと思いますが。
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by asakura_h | 2011-03-05 10:46
人生色色カラ(ー)まわり
人の心理に対する色の作用を研究する色彩心理学によると、好む色によって性格分けができるそうです。
赤は感情の起伏が激しく積極的、緑はバランスを重視する、白は理念に走りやすい、青は粘り強く慎重でプライドが少し高い、黄色は楽天的、ピンクは気配りができ甘えがちなど、これらは国際比較しても共通のようです。

そう思えば、国によってイメージが違うものもあります。
死は日本では白ですが、中国では黒です。
ピンクはアメリカではホモの色ですので、うかつに男性がピンクの服を着ていたら間違われます。

また好きな色が1個や2個に偏ったり、他人を認めないとか、あまり多いと行き当たりばったり的な性格のようで、複数個の色を好み統一感のある色遣いができる人がバランスが良いそうです。

本当か?と思ったりすることもありますが、確かに私たちの生活は色の支配を受けています。
街灯を赤から青系統に変えることで、街が静かになった例もあるそうです。
医療の分野でも赤は血圧が高めに、青は逆に低くなるので、なるべく青系統の服を着させるとか、また青い色は気持ちも静めるので、不眠には青いインテリアを心がけさせる工夫もあります。

その時の選ぶ服が、心理状態を表していることもあると言われますが、ファッションに興味がない人はあまり影響ないように感じますが、どうでしょう?
お金や時間がないと選べる服にも限界があるし・・・。

もし仮に江戸末期に現れたアメリカのペリー艦隊が黒船じゃなく、”赤船”だったらどうでしょう?
その後の歴史も少し変わっていたかもしれません。あるいは日本ももう少しはじけてたかもしれませんが・・・。

何しろ血だってあの赤色が衝撃的です。
あれは鉄の色、いわば鉄が錆びた時の赤を連想していただければいいのですが、中にはイカのように銅を酸素の運搬物質としている青い血の生き物もいます。
血の色が青だと人間生活もさぞかし変わっていたでしょうね。
「そんな真っ青な顔して興奮しないでよ」とか「その少女は青ざめた顔で恥じらう」なんて、ちょっと不気味ですか?

日本語の色には性的な意味や、欲望みたいなものも含まれます。
穢(けがれ)のないことが重要で、無色が純粋を想起させる独特な表現ですね。
外国では色は自己主張の大事なアイテムでしょう。
そういう日本でも自分の色を出すことが、最近は重要になっているようです。

特に”自分色”なんてカッコいいですね。
思わず定年退職者へのスピーチでも、「退職しても決して色褪せて退色しないように、いつまでも自分色で輝いてください」と利用したぐらいですから。

ただ自分色と言われてもよくわからないですけど、自分で色、”自分でいろ”ということですか?
それが一番難しいですけどね。
90年代風の表現でいうと、自分DE色(色の自分、色の自らの分)、いろんな色の中から自分にふさわしい色を選択し、それを徐々に改良して創りだすことでしょうか?

それはともかく、最近耳にする草食系男子も自分色創りの”創色系”で頑張ってほしいですね。
ただし、あせって早く色を創る”早色”の必要はないですけどね。
じわっと出てくる自然の色ならいいですね。
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by asakura_h | 2011-03-02 15:01